最近関東で、どうも地震が多発しているようです。こわいです。大災害になったらどうするか、本気で考えたりしています。
実は、阪神淡路・能登半島・新潟中越沖のときに、伝統的宗教団体や新興宗教団体や任侠団体が、炊き出しをしたり、御弁当や便利グッズを提供したりしていました。なかなか侠気がありますね。でも、その話は全然報道には上がってきません。アヤシイ団体の売名に加担するのはよろしくないから、とのことです。
さらに、ふつうの企業もいっぱい寄付をしました。それでも、いっぱい寄付をした会社や、自社で作った便利グッズを配った会社が、公共の電波で誉められることは、ありませんでした。新聞広告の隅っこで、「XX万円の義援金を送りました、お見舞い申し上げます」と、控えめに控えめに、ほんとうに目立たないところで自己申告しただけでした。報道されたのは主に高校生や大学生の無償のボランティアでした。現金をぽんと差し出した企業は、華麗にスルーです。
「人を大勢殺して有名になりたかった」という殺人者は、「人殺しとはけしからん! 晒し上げてやる!」ということで、大々的に報道され、結局、有名になります。
「人を大勢助けて有名になりたかった」という商売人は、「売名行為とはけしからん! 無視してやる!」ということで、全然報道されず、結局、有名になれません。
こんなことでは、人殺しをする人がやる気を出してしまうのに、人助けをする人が、やる気をなくしてしまいます。本来逆でしょう、とツッコみたい。
どうやら、いいことをするときは自分の損得を忘れなければいうかのような、潔癖な風潮があります。たとえば、(詐欺とかではない、まともな)募金活動で、スタッフがお給料をもらっているということに、批判が集まったりします。慈善事業への寄付を募る番組の出演者がギャランティーを貰っていると、批判されたりします。正直、理由が、よくわかりません。無償の人助けにリソースを提供し続けて生活に差し障りが出ないほどのお金持ちなんて、一体どれだけいるんでしょうか。私には、無理です。
どうしても誰かがやらないといけないこと、それでもなかなか商売にならないことというのは、世の中にたくさんあります。それを誰もやらなかったら、結局、国が税金でやることになったりします。せっかく「人助けをしよう、それで自分のイメージも上がるし」という人がいても、その人がやる気をなくしてしまったら、政治としてやるしかない。その結果、税金が上がって、家計がしんどくなったりします。
だから「売名上等」でいいわけです。言葉は悪いですが、放っておいて善行をしてくれる人は「おだてて、もちあげて、善行をやらせる」ほうが、絶対にいい。
それ自体をビジネスとして成立させるのが難しい社会貢献も、「大げさにやって有名になってイメージアップにつなげる」という形には、持っていきやすい。広告と一緒です。ただしそれは、「そうやって作られたプラスイメージが素直に受け止められる」という前提があればの話。偽善だ売名だと叩いてしまえば、それとは別の前提、逆の前提ができてしまう。
缶入りスープのキャンベルが、以前、アメリカで「ピンクリボン缶」を売っていました。スープ缶の売上の一部が、ピンクリボンキャンペーン(乳癌の早期発見や治療、啓発活動)に役立てられるというキャンペーン缶です。他にも、食料品や日用品のメーカーが、こぞって「ピンクリボンキャンペーン商品」を売り始めました。こういう売名的商品を出せば売れる、という土壌がちゃんとあるから、商売としても、社会貢献としても、成立するわけです。
同じ値段で、ピンクリボンな商品と、そうでない商品。それが並んでいたらピンクリボン缶が選ばれる。「売名」する人に対して大勢が「買名」することで、慈善事業っぽい活動も、経済の文脈にしっかり組み込まれるわけです。
さて、まとめ。
「みんながいいことをしたくなるシステム」の実装は、まだまだかもしれません。
このエントリは、日本でNPOのファンドレイジングがビジネスとして成立しがたい背景が、奈辺にあるかをも突いていますね。